勘違いしてない!?無礼講とマナー違反の境界線

3月、送別会・歓迎会などがさかんになる時期です。

この時期の飲み会などで、上司の口から良く出る言葉が「今日は無礼講で」。このフレーズを耳にするのは一度や二度ではないはず。 しかし、この言葉をどこまで信じてよいものでしょうか? ハメを外しすぎて、目をつけられるなんてことは、絶対に避けたいですよね。

ということで、この無礼講について考えていきましょう。

 

●なぜ上司は「無礼講で」というのか?

まず、おさえておきたいのが無礼講の意味です。辞書では、「身分・地位を無視して、行う宴会」などと表現されています。つまり、上司のいう無礼講は「私を上司だと思わなくても良いよ、この場では」と言っているわけです。

では、なぜ上司はこのような「今日は無礼講で」などと言うのでしょうか? 部下のためを思って「宴会の場が堅苦しいものにならないように」という思いやりの気持ちももちろんあるでしょう。でもそれだけではなく、そこに「上司のニーズ」も含まれているはずです。上司の立場に立ってみると、2つの場合がすぐに思いつきます。

・懐の深いところを見せたい

・部下と親しくなりたい

ならば、この2つのニーズを満たしてあげることが、ただしい部下の包容力というものではないでしょうか?

 

①懐の深いところを見せたい

「懐の深いところを見せたい」という部分に応えることを考えましょう。

上司の「今日は無礼講で」に対して、まったく自分の態度を普段と変えないというのは、ある意味「上司の懐の深さを疑っている」と捉えられかねません。

そう考えると、「今日は無礼講で」と言われたら多少なりとも親しげにするほうがよいとも考えられますね。ただ、やりすぎは危険。「上司から見て、『お、少しだけど距離感が近づいたな』とうっすら感じられるくらい」がよいでしょう。

 

②部下と親しくなりたい

「部下と親しくなりたい」というニーズ、ここに無礼講のバランスの鍵が隠されているように、私は思うのです。

上司が「部下と親しくなりたい」というのは、どんな様子を見ていて思うニーズなのでしょうか? 部下とその同僚の間柄?すこし近すぎるでしょう。部下とその数年先輩の間柄はちょうど良い感じかもしれないですね。

信頼・リスペクトされていながら、親しさを感じられる間柄。そんなところに上司は憧れているのではないでしょうか? そのバランスを読み取って、かなえてあげることができれば、相手の反応もよくなることでしょう。

相手のニーズを読み取り、そのニーズに応えるというのは、営業でも上司・部下の関係性でも同じこと。「たかが飲み会での上司のたわごとを」と思わずに、ひとつのトレーニングだと思って、無礼講につきあってあげてはいかがですか?

 

https://allabout.co.jp/gm/gc/292277/2/

 

トレーニングします。