インフルエンザの歴史

流行が短期間に世界的に拡大し、多数の人々が年齢を問わず感染する状態をパンデミックといいます。インフルエンザウイルスの構造が大きく変化すると、多くのヒトはこの新型ウイルスに免疫を持たないために感染が拡大したと考えられています。

ヨーロッパで最も古い記載は紀元前412年のヒポクラテスとリヴィによるものとされています。11世紀には明らかにインフルエンザの流行を推測させる記録が残っており、16世紀にはすでにインフルエンザ(イタリア語の「星の影響」が語源)という名で呼ばれていたようです。

わが国でも古くは平安時代にインフルエンザの流行をうかがわせる記載があり、江戸時代には「はやり風邪」と呼ばれ、「お駒風」「琉球風」などと流行によって世相を反映したさまざまな名がつけられました。

 

■スペインかぜとは?

第一次世界大戦の最中、3波にわたり全世界を襲いました。第1波は1918年3月に米国北西部で出現。米軍とともに欧州に渡り、西部戦線の両軍兵士に多数の死者を出して戦争の終結を早めたといわれています。スペインの王室の罹患が大々的に報じられたことからスペインかぜと呼ばれるようになりました。

第2波は同年秋、世界的に同時発生してさらに重い症状を伴うものになりました。第3波は1919年春に起こり、同年秋に終息に向かいました。

ウイルスのタイプはA型でした。しかし、当時はウイルスが原因とは知られておらず、後の血清疫学調査や剖検肺や凍土中の患者肺からのRNAの解析で判明しました。

この間、世界の人口の約50%が感染し、25%が発症したと見積もられています。死亡者は2,000万人以上にのぼり、疫病史上有数の大被害となりました。米国では南北戦争の死亡者や第二次世界大戦の死亡者を大きく上回り、パンデミックの脅威をまざまざと見せつけました。人口の多くがその免疫を獲得するにつれて死亡率は低下しましたが、1957年にアジアかぜが現れるまで流行し続けました。(H1N1型)

日本では、1918年(大正7年)の11月に全国的な流行となりました。1921年7月までの3年間で、人口の約半数(2,380万人)が罹患し、38万8,727人が死亡したと報告されています。

20代から30代の青壮年者に死亡率が高かった原因は不明で、謎として残っています。通常は小児や高齢者の死亡率が高いものの、スペインかぜで死因の第一位は二次的細菌性肺炎でした。このとき、初めて剖検肺中に細菌が証明されないことから、ウイルス肺炎が疑われるようになりました。

 

http://influ-info.jp/basic/history.html

 

歴史から学び十分対策を取れるようにしておきましょう。