社交性は性格ではなくビジネスマナー?

日本人が思い込んでいるのが、米国人は社交性があるということ。しかし、米国社会を知るほどに、実際にはそんなことはなく、日本人と大した違いがなかったりします。

典型的なのがパーティです。パーティでパートナー同伴とするのが西洋のしきたりですが、私は単にひとりで行くのが嫌いな人が多いのではないかと思っているほどです。どうしても知らない人が多いパーティでは、ひとりでいることが多くなります。

大勢の中の孤独ほど、孤独が引き立ち、つらいものはありません。そんな経験を誰もが持っているものです。ちなみに、顔見知りが多く頻繁に行われるパーティでは、米国人でもひとりで来る、という人も少なくありません。

となると、社交制があるかのように見えるのは、みんなが努力して、マニュアル書を読んだり、練習したりして、その能力を手に入れていることに気づかされます。

米国では恥ずかしそうにすることは、まったく美徳ではありません。地下鉄で小さな子どもが乗ってくると、必ず、隣に座った人や近くの人に立った人が「ハーイ」とにこやかに声をかけます。にこりとする子どももいますが、恥ずかしそうに顔を隠す子どもがほとんどです。そうした場合、必ず親は「恥ずかしがらないで。ハーイと言いなさい」と子どもに優しく声をかけています。「恥ずかしがらないで」という言葉は、しつけのひとつに組み込まれているのです。

 

つまり幼少期よりいちはやくマナーを学んでいるともいえますね。